「ヒックとドラゴン」の2と3も観たのだけど、どうやらテレビシリーズ?で100話くらいあるらしい。数話観たけど、まあ...これはいいかな。
3でヒック達バイキングみんながもうドラゴンハンターに襲われすぎるから伝説のドラゴンの聖地を目指すぞって全員で旅立つんだけど、すごくアメリカのナショナリズムに乗っ取った発想だなと思った。日本人的には先祖代々の土地簡単に捨てちゃうの?とか(一応少しは反対される)まあ違和感を若干感じてしまうんだけど、アメリカという国の成り立ちを考えたらその展開の受け入れられやすさはダンチだろうなあと思った。
日本人だって大陸から海を渡って来たのが大半だって言うので、そういう血が流れているのかもしれないけど今の人間の多くは血よりも国家と社会に生きているもの。
とにかくめちゃくちゃ面白かったので実写も楽しみだし、同監督の新作も楽しみ!
なんかさあ、DL siteとかまあ色々なそういうサムシングを扱うサイトでさあ、髪型による検索ってできるべきじゃねって思うんだよね。俺は前髪ぱっつんだったらもうなんでも興奮するんだけど(リアルな経験に裏付けされている)、そういう検索方法って無いじゃん。
ASMRでもさあ探すわけよ。そういうサムネのをね。ちなみにASMRなんだからイラストは些事だろって思うのはナンセンスです。でもめちゃくちゃ面倒なんすよね、全部確認しないといけないから。後はツインテも好きなんだけどね俺。こっちは完全にフィクション内での話だけど。
つまり何が言いたいかというと、髪型って案外こういういわゆる性癖の土俵に上がりづらい傾向があるのではということにもなる。まあ、髪型でキャラを好きになるのって見た目で好きになるパターンでも最も表層で好きになってる感じあるからな。今流行ってる推し文化とかキャラ愛に若干の複雑さを求められる感じとはきっと合わないんだよな。どちらかというと好きなキャラのグラデーションとしての髪型的な扱いが主流かもしれねえ。
なんだか俺のここ数年の命題になってる"推し"嫌いに新しい風が吹いた。
今から推し文化全くわからないまま闇雲に斬り込んでいくけど、まず前提としてソシャゲの話をします。物語のみで語られるアニメや映画作品等のキャラクターへの認識は全くレイヤーが異なるので。
推しって言葉として重いんだよな。俺の感覚だと同コンテンツで複数推しがいるって状態は座りが悪いし、推しって言う人はどうなのかはわからないけど、その人達も1コンテンツに1人だけ的な感覚があるように感じるわけよ。でも俺はもっとケーハクに色んなキャラが大好きになっているわけ。そして大体性欲が絡んできます。俺はそれでいいと思っているよ。
学マスでもブルーロック式方程式なんか作ったものの、強いて1番なら篠澤広だけどもう何人も同じくらい好きだわって感じだったし。ただ学マスは割と、物語との相乗で好きになってる方のソシャゲではある。
結局、推しって言葉に窮屈さを感じるわけだな。言葉を重く捉えているせいで。なのにみんなやたらめったら使うじゃないか。アズレンなんてエロいだけでどいつもこいつもわんこそばの様に追加されるキャラを見た目とエロさでじゃんじゃか判断していってるのに公式に推しって言われたってお前のコンテンツそうじゃねえ〜!ってなるの俺は。ソシャゲに対しての俺のスタンスがこういう認識なので推しって言葉は非常に座りが悪い。
ちなみに映画等の物語のみで語られる作品では、髪型どころかキャラの見た目は好きになる一要素に過ぎないし、物語と一体化したキャラクターって認識が強すぎてその中での描かれ方に全て引っ張られるため、キャラ単体で好きになることはほとんどなくて物語とセット。もちろんキャラが好きだから物語を好きになることもあるしその逆もあるわけです。なので推しって言葉が介在する余地がない。
なんか話が推し論争に向かってしまったけど、髪型をもっといわゆる性癖の一概念に加えられるくらい気軽にキャラクターを見た目で性的に消費しようよ!前髪ぱっつんを流行らせようよ。
明日はあんこう鍋を食べるので楽しみです。俺が1番好きな料理なので。