今日は「ラストマイル」を観に行った。めちゃくちゃおもろかったな〜。正直ドラマ産邦画なんてカスや!と思っていたのだけど...別に無根拠な訳でもなく、今期やってる「笑うマトリョーシカ」というやつを親が観ているのでチラチラ聞こえてくるのだけど、すごく下らない。そういうことがよくあるから。「ラストマイル」は割と現代日本社会批判をしつつという内容で、とはいえその中で自身の仕事という立場に関連した居場所とか尊厳とかを守るためにみんながその立場で踏ん張る話という感じで凄く熱い。脚本が多分良いんだろうな。全体としてはハリウッド式の脚本感をビシバシ感じて、作りが丁寧で先の展開の予想がつきやすいものだった。射撃が正確だから弾道予測がつきやすいってやつだな!とか言いつつ5回くらい泣いたので、本当に面白かった。しょーじき俺は邦画邦画したものより「ラストマイル」みたいなハリウッド然としたものももっと作れば良いのにと思っていてそういう脚本の中で現代日本に対する視点を持たせればそれは独自のクリティカルなものになると思ってる。もちろん邦画には邦画の良さもあるけどね!
今日は体調も回復したので、またアーレントのお勉強をしていた。アイヒマン裁判のお話で、『革命について』みたいな観念的な話は少なめでだいぶ読みやすかった。単純に俺の哲学知識が不足しすぎててその辺りは今のところ歯が立たない!で、『全体主義について』で書かれた全体主義組織は極めて特異な悪性を持つという予想に反してアイヒマン本人の悪性は凡庸なものだったってことにアーレントが気づく。そしてイデオロギーが根元にある都合の良い擬似現実で構成員を塗り固めた全体主義組織は現実の抵抗には案外弱かったことも記述されていた。そういうことがわかれば、周辺国の対応やユダヤ人内でのナチスへの協力者、シオニズム派にもナチスが継続的に「最終的解決」を行えたことへの責任があるというお話?
このあたりを読んで気になるのはアーレントが物語を語ることをどう捉えているのか。『革命について』の話では革命の最初の思想とか政治的な理念を継承していく上で経験に裏付けされた物語は有効だと言う。対して、アイヒマン裁判では証言者の内容が物語的な要素に絡め取られ事実とは反することが多かったと述べられている。つまり、前者で語られる「経験に裏付けされた物語」が後者では「経験が時間経過と共に物語に侵食された物語」になっているように思えるわけ。えーーーーーー...............ここで今ちょうど読んでるあたりがそれのアンサーになっていることに気づいた。俺のブログこんなんばっかだな...。『思考』するやつは例外なんだって〜。自己の中にもう一人の自己があるやつは過去現在未来の自分を想定できるらしい。この辺りまでしか読んでないから詳しくは記述できないけど。そういう存在の証言は非常に有効らしいじゃん。ふーん。
今日はキーボードに打つでもなんでも文字に起こせば思考が整理されて気づきが得られることに気づいた!寝る!