今日は「きみの色」を観た。ハンナ・アーレントの全体主義について。インターネット男女論。の3本立てて行く。情報整理だけなので特に論じることはない。
まず「きみの色」を観たんだけど、映像はすごく良かった。作画レベルの高さやレイアウトの良さも見どころ。でも、途中から眠くてしょうがなかった。中盤の退屈さはちょっときつい。後半カタルシスがあるわけでもないので。で!!この映画がそもそもカタルシスとか物語的なエネルギーを持っていないというのはわかっている!その上で俺には合わなかった!こうね〜リアルなんだよね全体的に演出も話運びも。ドラマティックな場面っていうのは一つもない。要素はある。でもドラマティックに魅せていない。キャラクターに位置エネルギーみたいなものもほとんど無い。いやあるんだけどそれを殺している。やりたいことはわかるしやれてるんだろうけど合わなかったな〜。
ハンナ・アーレントについては森分大輔の新書を読んでるんだけど、今日は全体主義についての論をそこそこ読んで、これは纏めないとどっか飛んでいってしまうと思った。まず、ナチスの全体主義の形成には反ユダヤ主義というのがイデオロギーとしてあって。これは大きく分けて2つ。政治的反ユダヤ主義と種族的反ユダヤ主義に大別できると。で、前者は国民国家形成後に隙間的に利権を得ていたユダヤ人へのモッブを代表とする反感などが大元にある。で、後者は官僚制と?植民地先で醸成された人種主義と?歴史主義?これが大元にある?のか?ちょっと〜…忘れてるね。この3つは相性が良くてまあ人種主義とかは血で能力を判断するっていう非現実なものだから、歴史主義に根差した官僚制と相性が良かった...って感じか?で、これが汎民族運動に繋がった...と。
全体主義自体に関しても纏めないといけない。まず、イデオロギーが根底にあってそれを実現する必要がある。そうしないと組織の正当性が無くなるから。ナチスの場合は世界を裏から操るユダヤ人の絶滅だったけど、こういう擬似現実的な事柄をイデオロギーに据えることができるのは全体主義組織が玉ねぎ状の組織構造をしているから。
ナチスの悪行の一つに絶滅収容所があるけど、これはユダヤ人の人間性を余計なものとして削ぎ落とすことを目的とした。そして全体主義自体がその構成員の人間性を余計なものとすることを目的としていた。植民地に向かった歴史主義者と共通する点だな。つまり人間を人間たらしめないことで人間の持つ根源悪という概念自体を崩壊させた。
こんなところだろうか。人間性と悪についてはまだ掘り下げがあるらしい。俺に一番ヒットしたのは歴史的必然性という話かなあ。アーレントは逆算的にナチスの全体主義を解体してるけど、現在の世界についてある程度知ることができれば、これから何が起きるかを予測とまでは言わずとも説得力のある構想を展開できるかもしれない。多分、富野由悠季なんかはこれをやっている。
で、インターネット男女論だっけ...牛角の話を見て思いついたんだけど、男は牛角程度のもんに自身の男性性を売り渡しちゃいかん!と思いました〜。
明日はキャンプなので早く寝たい!